1972-10-28 第70回国会 衆議院 社会労働委員会 第1号
その内訳は中国地区二千九百三十一人、ソ連地区、サハリン三百六十一人、北鮮地区百十四人、南方地区その他百六十七人、こういう新聞記事を見たのでありますが、数字は大体これは合っているかどうかということが一つと、いま言いました中国、ソ連、北鮮から南方諸島に対して具体的な手の打ち方についてお答えを願いたいと思います。
その内訳は中国地区二千九百三十一人、ソ連地区、サハリン三百六十一人、北鮮地区百十四人、南方地区その他百六十七人、こういう新聞記事を見たのでありますが、数字は大体これは合っているかどうかということが一つと、いま言いました中国、ソ連、北鮮から南方諸島に対して具体的な手の打ち方についてお答えを願いたいと思います。
詳細に申し上げますと、ソ連地区に三百八十六名、中共地区三千二百二十三名、北鮮地区百十四名、南方その他の地域が二百四十一名、これらの方々がまだわれわれの資料から見まして、確認された資料からいたしますというと、これだけの未帰還者の数があるわけでございますが、さらにこの中でどの程度の方が生存をしておられるだろうか、ごく最近において、こういうことでございますが、約千八百名ぐらいの方はこの四千名の中で生存をしておられることが
また、北鮮地区についても約三万四千人の死没者があるわけでございますが、その御遺骨の大部分は、やはり同じように持ち帰られていないわけでございます。
○土屋義彦君 次は外交上の問題で、非常にむずかしい問題であるかと思いますが、中国本土及び旧満州、北鮮地区で戦没したりなくなった邦人の遺骨の収集や送還、あるいは墓参計画の見通しはどうなっておりますか、その点についてお尋ねをさせていただきます。
それから北鮮地区におきまして百六十六名、それから中共地域におきまして四千二百十二名、それから南方諸地域におきまして四百二十四名という方々が、それぞれの地域で未帰還者としての数に上がっております。
韓国の支配力の及ばない北鮮地区につきましては、今そういう段階に至っていない、こういうことでございます。
そうして一万七千六百余人ということでありましたが、ソ連、中国、北鮮地区を除いて、その他六百人と、こういうことでしたが、六百人ぐらいでしょうか。私は、どういう人を対象にしておられるのか、その国に帰依されているような人は除いておるのかどうか、こういう問題ですね、そういう点はどうですか。
地域別に申し上げますと、こまかい数字を省略いたしますが、ソ連地区が大体三千三百人、中共地区が約一万六千人、北鮮地区が約千人、南方地区が大体千三百人、こまかい数字を端折りましたので、総数においては多少の食い違いが出てくるかと思いますが、そういうことでございます。
この三万三千の内訳は、中共が三万六百五十三人、ソ連が二千六百七十六人、北鮮地区が三十六人、その他が二百八十二人となっております。この三万三千人のうちで、非常に多数の人が、自営のために、自分で職業を見つけられた方が多いのでございますが、職業安定所へ求職の申し込みをしました者は、このうち一万二千九百六十七人でございます。
○竹中勝男君 このたび北鮮地区からの引揚者を出迎え、かつその事情を調査するため、長島、竹中両委員が舞鶴に出張して参りましたので、その概況を御報告申し上げます。 日本の出迎え船を待って、北鮮の東海岸にある遮湖というところに集結していた引揚者三十六名が海上保安庁の練習船こじま丸に乗船して、去る二十二日午後三時舞鶴に入港帰還いたしましたのであります。
(委員部第一課 長) 佐藤 吉弘君 法制局側 法 制 局 長 奧野 健一君 裁判官訴追委員会事務局側 参 事 (事務局長) 野間 繁君 ————————————— 本日の会議に付した案件 ○議院運営小委員の補欠選任の件 ○庶務関係小委員の補欠選任の件 ○常任委員長の辞任及び補欠に関する 件 ○公聴会開会承認要求に関する件 ○北鮮地区引揚者
○参事(佐藤吉弘君) 社会労働委員長重盛壽治君から、北鮮地区引揚者の実情調査のための委員派遣承認要求書が出ております。派遣委員は竹中勝男君、高野一夫君、派遣地区は舞鶴市、期間は四月二十日から四日間、費用概算一万六千円でございます。
(五月二日) 一、北鮮地区引揚者の実情調査のため、舞鶴市に委員派遣を行うこと。 一、保険関係三法案の審議第一日の質疑は、鳩山内閣総理大臣に対し総括質問のみを行い、時間の関係上、質疑の順位は、社会党、次に緑風会その他の順序で行うこと。 以上の通り、協議決定をいたしましたから、御報告いたします。 —————————————
○田邊政府委員 今ちょっと資料を持ってきておりませんが、北鮮地区と満州地区に多いわけであります。しかも終戦前後が一番状況不明者が多いわけであります。
これから御意見の発表をいただくのでありまするが、その要点等につきましては、さきに御連絡いたしておきました通り、未帰還者の実情について、引き揚げ促進の交渉経過及びその問題点について、これは北鮮地区その他も入れていただいてけっこうでございます。
それから北鮮地区につきましては、やはり前国会の終りごろ、約三十名の婦女子が平壌に集まっておるので、これについての帰還の問題が起ったのでございます。
そういうことで今一番困っておりますのは、中共地区、北鮮地区の気象が全然ない。しかも御承知のように、気象の状況は西の方から先に変って来ますから、これがないと非常に困難を感じております。ただ曲りなりにも毎日天気予報が出ておりますことは、これは最近高層気象というのが発達いたしまして、地上の観測ではなくて、むしろ数千メートルという高い所の気象の状況から天気を判断する。
○説明員(大野克一君) 先般、二十九年五月一日調べで政府が発表いたしました資料にある通りでありまして、昭和二十六年以後、北鮮地区で生存を確認されておる者は、一名もございません。又現在何人の人があの地区にいるかということについては、明らかでございません。
わが党は、ソ連、中共、北鮮地区の捕虜及び抑留者の即時帰還を強く主張して来たのでありますが、本條約第六條に、その完全実施のなさるべきことが規定せられましたので、残余の全員即時帰還を要求するものであります。
その中に、大陸の中共軍二十万以上の兵力が北鮮地区の国連軍の正面に陣を張つておることが明白となつた。そしてこれを援護する大兵力の増援部隊が逐次前進をして来ておることを申しまして、この結果まつたく新しい戰争に直面しておる。
一九四七年には国府地区留用者及び家族並びに事故残留者約三万名が引揚げましたが、中共地区からは行われず、一九四八年の七月証北鮮地区の引揚げが実施された際、延吉、図門におりました日本人が約三百七十名、これがこの北鮮の引揚げに便乗いたしまして引揚げて参つております。次いで一九四九年、昨年の九月でありますが、大連からソ連側のあつせんによりまして二千八百六十一名が引揚げたのみであります。
そこで各証人の皆さんには十分御了承のことと存じますが、或いはまだ御帰国早々であつて御存じない点があるかも知れませんが、この委員会といたしまして一番心痛いたしています問題は、ソ連地区、中共地区、北鮮地区或いはその他の外地に残つている人は勿論でございますが、殊に法務関係の留守家族の方欠こうした面につきましては、二十二年の九月以来、今村均元大将の夫人を始めといたしまして、いろいろとこの問題につきましては当委員会